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「異界からの旅人」第一章の続編。
しばらく砂利の川原をザッザッザッザッと走ると、ヤサコの耳に異常が起こった。
…………ヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソ…………
古い空間を感じる時にする、音か声だった。ヤサコの脳裏は一気に不安感が、駆け巡った。
すると、ヤサコの視界に突っ立っている京子の後ろ姿があった。
「京子―ッ!」
思いっきり呼びかけると、京子はゆっくりと振り返り、
「あ、お姉ちゃん」
と、呑気そうに、とんだ事態が起きているとは、露知らぬ返事だった。
「もうっ、京子!心配かけないでよ!お母さんも慌てたんだから!」
ヤサコが飛び込むように駆け寄ると、半泣きのようにも聞こえる声で、強く京子を抱き寄せた。怒っている訳では無く、安堵と安心感から出た、本音であった。
「京子ちゃん?ああっ良かった、無事ね?」
「大丈夫なんだな?」
イサコもフミエ到着し、安堵の空気となった。
「それにしても京子。何でこんな所に、勝手に行っちゃったの?川原は危険がいっぱいって、マイコ先生も言って―」
「ウンチ」
その言葉は、いつものマイブームか、本当にそうなのかわからない返事だったが、京子が向こうを指さしながらしゃべった。
その指さす先には、一艘の船が砂利の上に、揚がっていた。船と言っても小さく、木製の低い屋根の付いたボロ船で、船体の至る所に大きな穴が開いて、朽ち果てようとしていた。しかも、穴からは電脳霧がユラユラ発生していた。船内が相当の古い空間のようだった。ヒソヒソはこれだったのだ。
「京子。あの船がどうしたの?」
「京子、見つかった?」
ヤサコの疑問の時、後ろからハラケンやダイチとデンパが、追い着いて来た。
「なっ、何なんだ!あの船?」
ダイチの関心は、船の方に向けられていた。
「すっげえ、霧」
そう言いながら、ヤサコの隣をすり抜け、船の脇に近寄った。
「危ないわよ、ダイチ君!」
「よしなさいよ、ダイチ!」
ヤサコとフミエは揃って、ダイチを咎めたが、お構い無しに船に着くと、船体に一発、足蹴りした。何も起こらなかった。
「……大丈夫だ!何もいねえ」
「クゥオオォーン」
(え?)
その時、ヤサコは何かが耳に、と言うより直接、頭の中に声か音のような何かが響き渡った。驚いて船の方を注視していると、ハラケンも、イサコも、デンパも、妙な顔つきで同じように眺めていた。しかし、フミエとダイチは何の反応もしていなかった。四人に今の何かを、感じたらしい。
「クオウオォン」
またした。改めて聞けば、鯨の鳴き声と似た声だった。
「あっ!あれ!」
そんな緊張した空気を、デンパの声が破き、船の一角を指さした。
みんながその先を見ると、何かが船の隙間から出ていた。黒くぼやけ、それでいてハッキリとした形を持つモノ。青白い二つの光を持っていた。それは、ニューっと顔のような部分を、外の彼らの方へ伸ばした。イリーガルだった。
「クビ……」
思わずデンパは、「クビナガ」と言いそうになるが、その姿形は違った。
ワニのような長い口に二本のヒゲを生やし、頭の所に鹿のような二本の角。その後ろには、耳と立て髪。
そのうち、首を伸ばし続け、五十センチの部分で、小さいがしっかりとした、二本脚らしい物が出て来た。それも過ぎ、どんどん伸び続けた。すると、その体の周りに、電脳霧がまとわりつくように現れた。とうとう後ろ足や尻尾らしい部分も出てきて、体は完全に宙に浮いていた。まるで、龍のような姿の〝それ〟だった。
ヤサコ達が見上げる〝それ〟は、上空二メートル高さに浮遊し、その全長は二メートルほどだった。霧に包まれ、うねりながら〝それ〟は、下の彼らを見下ろしていた。
「なっ、何なのよ……あれ!」
「おっ、俺が知るか!」
フミエもダイチも、未知との遭遇に困惑し、思考停止が起こりかけていた。
「たぶん、イリーガルの一種じゃないかな?」
「僕も、そう思う。何だか、クビナガと似た感じがする」
ハラケンやデンパは、比較的冷静に〝それ〟を観察していた。
一方のヤサコは、京子を抱きながら、ただ口をアングリと開けて、すでに思考停止していた。
イサコも同じように口を開け、冷静になろうとしていた。
すると、〝それ〟が急に首を下に向け、ダイチの方へ伸ばしだした。
「ぎょえぇーッ!」
いきなりの動きにダイチは大声で驚き、後ろに腰を引きながら、手は電脳ポシェットを探った。一枚のメタタグを取り出したかと思うと、眉間にベタッと張り付けた。いつの間にかメガばぁから買っていたメガビーのお札だった。そしてすぐに発射。
ビシ―――ッ
「クウウゥン!」
閃光は〝それ〟に目がけて飛び出したが、驚いた〝それ〟はヒュイっと、ビームを交わしてしまった。
「何やってんのよっ、ダイチ!」
「そうよダイチ君。いきなりやったら何が―」
「起きるかわからない」とヤサコが、フミエと一緒に批難を言いかけた時だった。
ガガ―――ンッ
突然、〝それ〟の霧から凄まじい衝撃が、ダイチ目がけ飛び出した。雷鳴のような轟音とメガビー以上の閃光が広まり、眩しさで辺りをまっ白にした。
一同の視界が見えるように戻った時、砂利に尻餅をついて慄く、情けない姿のダイチがビクビク震えていた。
「へっ、ひえぇ~……」
しかし、皆が変な声を上げるダイチを見て、一番に驚いたのが、ダイチの右腕だった。右腕が原形を留めないほどに、バチバチと火花をしながら、画像がグニャグニャに乱れていた。むろん、普通に見れば無傷の腕だが、電脳体で言えば、重傷に近い損傷だった。
ダイチは避けようとして、雷撃が右腕に命中してしまったようで、もし、反応が遅れていれば、メガネそのものに命中していたかもしれない。そうなれば、もう二度と修復は不可能かもしれない。すなわち、ゴミと化してしまう。誰もその事を口にできなかったが、〝もしも〟に誰もが恐れ震え上がった。
とにかく〝それ〟は、危険なイリーガルであるという認識となり、すでにフミエの手元はVサインをしており、イサコもハラケンも臨戦態勢の構えをしていた。
「あっ!」
しかし、誰もしゃべらない中でヤサコは、〝それ〟の異変に気付いた。霧がスーッと薄れ、消えてしまい、〝それ〟がヒューンと砂利の上に、ズサッと落っこちてしまった。まるでその様は、死にそうにのたうつ蛇の姿だった。しかも、明らかに体は蒸発しており、さっきと比べて小さく縮み、半分くらいの長さになっていた。
その状況に、攻撃を加えようとした三人は、どうしたらいいのか、動きを止めてしまった。
しかし、ヤサコの反応は彼ら以上だった。思わず京子を脇に置き、〝それ〟に近寄った。
「ヤッ、ヤサコ、近づいちゃダメだ!」
「危ないわよ、ヤサコ!」
「離れろ、ヤサコ!」
ハラケン、フミエ、イサコはダイチを心配せずに、ヤサコの行動を止めようとした。ダイチを気遣っていたのは、デンパだけであったが、やはり視線はヤサコに向けられていた。
それでもヤサコは、〝それ〟の前に来ると、跪いて手を出してみた。〝それ〟はその手に敏感に反応し、疲れた体で首をシュッと後ろに退けた。
その反応に、ハッとヤサコは手を引っ込めた。思い出してしまった。あの時と似た場面。
初めて会った時、最後の時。無理に手を出して怯えさせてしまい、ソッと掌を差し出し、優しい気持ちで接しようとした、あの時の心。
〝それ〟にも同じようにしてみようと、恐る恐る、ゆっくりと片手の掌を〝それ〟の顔辺りに、さし出してみた。
すると、ビクビクしていた〝それ〟の動きは静まり、〝それ〟も恐る恐る、ゆっくりと掌に近付けた。口先辺りから、舌のようなモノをシュウッと出して、掌を舐めるような仕草を見せた。
ヤサコはその反応に安心したような顔を見せ、今度は両手をゆっくりと〝それ〟に向けて、開いた。
ジーッとヤサコを見ていた〝それ〟は、ゆっくりとヤサコの手に近寄り、とうとう、腕に前足を乗せ、チョンチョンと腕を登って行き、後ろ足も乗せ、ついには肩に全身を乗せてしまった。
「クウゥゥン……」
マフラーを巻くように乗り、心が落ち着いたような声を〝それ〟が漏らした。
少し、ヤサコもその動きに強張っていたが、段々と〝それ〟への安心感が出て来た。
その一部始終を見ていたフミエ達は、目をパチクリしながら、呆然と眺めているしかなかった。どう声をかけていいのやら、言葉に詰まってしまった。
「ヤッ、ヤサコ……大丈夫なの?」
フミエは及び腰ながら、ヤサコと〝それ〟に寄ってみた。その動きに一番に〝それ〟が反応し、首をよじって避けた。
「うっ、うん。大丈夫よ。〝これ〟は何もしなければ、危なくないようよ。何かしたら、ダイチ君のように……」
そう言って、デンパが付き添うダイチをフミエと一緒に見てみれば、まだヘナヘナと倒れこんでいた。腕はまだ乱れたままで、さっきよりは少し修正されているようだった。〝それ〟に避けられたフミエは、少しムッと感じたが、ダイチの二の前は恐ろしくゾッとした。
「〝これ〟は、イリーガルなのかなぁ?」
ハラケンも寄って来た。ハラケンは〝それ〟に近寄ると、ヤサコと同じように掌を出してみた。すると〝それ〟は、チラッとハラケンと掌を見ると、チョンと触った。ヤサコ程気を許してはいないらしいが、好意を持ってくれたようだった。
イサコも恐る恐る、ハラケンと同じように〝それ〟に手を出してみた。また〝それ〟はチョンと触ってくれたが、イサコはその動きに驚き、思わず手を引っ込めてしまった。〝それ〟も驚いてしまった。
「……………………」
その横では、京子がボーっと見ていた。たぶん京子も、〝それ〟に掌を出してみたいが、違うやり方もしてみたい、というのが本心だった。しかし、その違うやり方というのが思いつかず、ボーっと見ているばかりだった。
「それにしても、一体何なんだ、こいつは?去年もそうだったが、いろんな種類はいたが、これもまた初めて見る形態だ」
「やっぱり、イリーガルかぁ」
イサコとハラケンの見識で、〝それ〟がイリーガルである事は、確定的となった。
「とっ、とにかく、みんなの所に戻りましょう。母さんが京子の事、心配しているわ」
一同が〝それ〟をマジマジと見るのを、ヤサコは振り払うように立ち上がり、皆を促した。
「そうね。んじゃ、早く戻りましょう」
フミエも賛成して、皆が歩き出し、ヘナヘナのままのダイチはデンパに肩を担がれながら、ヨロヨロとやっとの思いで歩いていた。あの雷撃が生身の体にまで影響を与えるとは思えないが、あの時の音や光が相当応えたらしい。
まだ見ている京子の視線に、〝それ〟が気付いて見返した。すると、
「ウンチ!」
とりあえず、指をさしながらそう呼んでみた。その声には一同がビクッと反応し、ヤサコは赤らんだ顔で京子に振り向いた。
「京子!」
それだけしかヤサコは言わなかったが、「言っちゃダメ」という意味がこもっていた。
「うんじゃ~……」叱られた本人は、また思案し出した。そして、
「ヤエ!」
意外に古風な名前に、誰もが驚いてしまった。
「クゥウオオォン!」
その名前に反応するように、〝それ〟が元気よく返事のような声を上げた。
「……んまぁ、さっきのよりはずっとましねぇ。そいつも気に入ってくれたようだし…」
フミエはいろいろ考えながら、その命名を認めようとしていた。
「それにしても京子ちゃん、何でそんな名前なの?」
当然出てくる疑問であった。
「あぁ、それはね」その疑問に答えたのは、ヤサコだった。「最近、テレビの時代劇が次のマイブームらしくって。それで、その主人公の名前が、〝八重〟って言う町人の娘さんなの。京子ったら、その元気な娘さんが気に入っちゃって。だから、それで…」
その答えには、一同「あーっ」と納得した。
「それじゃ、君の名前は今日から、〝ヤエ〟ね」
「クゥウオオォン!クゥウオオォン!」
ヤサコの言葉に、これまた元気よくヤエは答え、その場の空気はようやく和んだ。精気の消えかけたダイチを除いて。
ただ、ハラケンの脳裏に、一抹の不安が過ぎった。
(あれ?もしかしてヤサコ、あのヤエを飼うのかなぁ……)
つづく
…………ヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソ…………
古い空間を感じる時にする、音か声だった。ヤサコの脳裏は一気に不安感が、駆け巡った。
すると、ヤサコの視界に突っ立っている京子の後ろ姿があった。
「京子―ッ!」
思いっきり呼びかけると、京子はゆっくりと振り返り、
「あ、お姉ちゃん」
と、呑気そうに、とんだ事態が起きているとは、露知らぬ返事だった。
「もうっ、京子!心配かけないでよ!お母さんも慌てたんだから!」
ヤサコが飛び込むように駆け寄ると、半泣きのようにも聞こえる声で、強く京子を抱き寄せた。怒っている訳では無く、安堵と安心感から出た、本音であった。
「京子ちゃん?ああっ良かった、無事ね?」
「大丈夫なんだな?」
イサコもフミエ到着し、安堵の空気となった。
「それにしても京子。何でこんな所に、勝手に行っちゃったの?川原は危険がいっぱいって、マイコ先生も言って―」
「ウンチ」
その言葉は、いつものマイブームか、本当にそうなのかわからない返事だったが、京子が向こうを指さしながらしゃべった。
その指さす先には、一艘の船が砂利の上に、揚がっていた。船と言っても小さく、木製の低い屋根の付いたボロ船で、船体の至る所に大きな穴が開いて、朽ち果てようとしていた。しかも、穴からは電脳霧がユラユラ発生していた。船内が相当の古い空間のようだった。ヒソヒソはこれだったのだ。
「京子。あの船がどうしたの?」
「京子、見つかった?」
ヤサコの疑問の時、後ろからハラケンやダイチとデンパが、追い着いて来た。
「なっ、何なんだ!あの船?」
ダイチの関心は、船の方に向けられていた。
「すっげえ、霧」
そう言いながら、ヤサコの隣をすり抜け、船の脇に近寄った。
「危ないわよ、ダイチ君!」
「よしなさいよ、ダイチ!」
ヤサコとフミエは揃って、ダイチを咎めたが、お構い無しに船に着くと、船体に一発、足蹴りした。何も起こらなかった。
「……大丈夫だ!何もいねえ」
「クゥオオォーン」
(え?)
その時、ヤサコは何かが耳に、と言うより直接、頭の中に声か音のような何かが響き渡った。驚いて船の方を注視していると、ハラケンも、イサコも、デンパも、妙な顔つきで同じように眺めていた。しかし、フミエとダイチは何の反応もしていなかった。四人に今の何かを、感じたらしい。
「クオウオォン」
またした。改めて聞けば、鯨の鳴き声と似た声だった。
「あっ!あれ!」
そんな緊張した空気を、デンパの声が破き、船の一角を指さした。
みんながその先を見ると、何かが船の隙間から出ていた。黒くぼやけ、それでいてハッキリとした形を持つモノ。青白い二つの光を持っていた。それは、ニューっと顔のような部分を、外の彼らの方へ伸ばした。イリーガルだった。
「クビ……」
思わずデンパは、「クビナガ」と言いそうになるが、その姿形は違った。
ワニのような長い口に二本のヒゲを生やし、頭の所に鹿のような二本の角。その後ろには、耳と立て髪。
そのうち、首を伸ばし続け、五十センチの部分で、小さいがしっかりとした、二本脚らしい物が出て来た。それも過ぎ、どんどん伸び続けた。すると、その体の周りに、電脳霧がまとわりつくように現れた。とうとう後ろ足や尻尾らしい部分も出てきて、体は完全に宙に浮いていた。まるで、龍のような姿の〝それ〟だった。
ヤサコ達が見上げる〝それ〟は、上空二メートル高さに浮遊し、その全長は二メートルほどだった。霧に包まれ、うねりながら〝それ〟は、下の彼らを見下ろしていた。
「なっ、何なのよ……あれ!」
「おっ、俺が知るか!」
フミエもダイチも、未知との遭遇に困惑し、思考停止が起こりかけていた。
「たぶん、イリーガルの一種じゃないかな?」
「僕も、そう思う。何だか、クビナガと似た感じがする」
ハラケンやデンパは、比較的冷静に〝それ〟を観察していた。
一方のヤサコは、京子を抱きながら、ただ口をアングリと開けて、すでに思考停止していた。
イサコも同じように口を開け、冷静になろうとしていた。
すると、〝それ〟が急に首を下に向け、ダイチの方へ伸ばしだした。
「ぎょえぇーッ!」
いきなりの動きにダイチは大声で驚き、後ろに腰を引きながら、手は電脳ポシェットを探った。一枚のメタタグを取り出したかと思うと、眉間にベタッと張り付けた。いつの間にかメガばぁから買っていたメガビーのお札だった。そしてすぐに発射。
ビシ―――ッ
「クウウゥン!」
閃光は〝それ〟に目がけて飛び出したが、驚いた〝それ〟はヒュイっと、ビームを交わしてしまった。
「何やってんのよっ、ダイチ!」
「そうよダイチ君。いきなりやったら何が―」
「起きるかわからない」とヤサコが、フミエと一緒に批難を言いかけた時だった。
ガガ―――ンッ
突然、〝それ〟の霧から凄まじい衝撃が、ダイチ目がけ飛び出した。雷鳴のような轟音とメガビー以上の閃光が広まり、眩しさで辺りをまっ白にした。
一同の視界が見えるように戻った時、砂利に尻餅をついて慄く、情けない姿のダイチがビクビク震えていた。
「へっ、ひえぇ~……」
しかし、皆が変な声を上げるダイチを見て、一番に驚いたのが、ダイチの右腕だった。右腕が原形を留めないほどに、バチバチと火花をしながら、画像がグニャグニャに乱れていた。むろん、普通に見れば無傷の腕だが、電脳体で言えば、重傷に近い損傷だった。
ダイチは避けようとして、雷撃が右腕に命中してしまったようで、もし、反応が遅れていれば、メガネそのものに命中していたかもしれない。そうなれば、もう二度と修復は不可能かもしれない。すなわち、ゴミと化してしまう。誰もその事を口にできなかったが、〝もしも〟に誰もが恐れ震え上がった。
とにかく〝それ〟は、危険なイリーガルであるという認識となり、すでにフミエの手元はVサインをしており、イサコもハラケンも臨戦態勢の構えをしていた。
「あっ!」
しかし、誰もしゃべらない中でヤサコは、〝それ〟の異変に気付いた。霧がスーッと薄れ、消えてしまい、〝それ〟がヒューンと砂利の上に、ズサッと落っこちてしまった。まるでその様は、死にそうにのたうつ蛇の姿だった。しかも、明らかに体は蒸発しており、さっきと比べて小さく縮み、半分くらいの長さになっていた。
その状況に、攻撃を加えようとした三人は、どうしたらいいのか、動きを止めてしまった。
しかし、ヤサコの反応は彼ら以上だった。思わず京子を脇に置き、〝それ〟に近寄った。
「ヤッ、ヤサコ、近づいちゃダメだ!」
「危ないわよ、ヤサコ!」
「離れろ、ヤサコ!」
ハラケン、フミエ、イサコはダイチを心配せずに、ヤサコの行動を止めようとした。ダイチを気遣っていたのは、デンパだけであったが、やはり視線はヤサコに向けられていた。
それでもヤサコは、〝それ〟の前に来ると、跪いて手を出してみた。〝それ〟はその手に敏感に反応し、疲れた体で首をシュッと後ろに退けた。
その反応に、ハッとヤサコは手を引っ込めた。思い出してしまった。あの時と似た場面。
初めて会った時、最後の時。無理に手を出して怯えさせてしまい、ソッと掌を差し出し、優しい気持ちで接しようとした、あの時の心。
〝それ〟にも同じようにしてみようと、恐る恐る、ゆっくりと片手の掌を〝それ〟の顔辺りに、さし出してみた。
すると、ビクビクしていた〝それ〟の動きは静まり、〝それ〟も恐る恐る、ゆっくりと掌に近付けた。口先辺りから、舌のようなモノをシュウッと出して、掌を舐めるような仕草を見せた。
ヤサコはその反応に安心したような顔を見せ、今度は両手をゆっくりと〝それ〟に向けて、開いた。
ジーッとヤサコを見ていた〝それ〟は、ゆっくりとヤサコの手に近寄り、とうとう、腕に前足を乗せ、チョンチョンと腕を登って行き、後ろ足も乗せ、ついには肩に全身を乗せてしまった。
「クウゥゥン……」
マフラーを巻くように乗り、心が落ち着いたような声を〝それ〟が漏らした。
少し、ヤサコもその動きに強張っていたが、段々と〝それ〟への安心感が出て来た。
その一部始終を見ていたフミエ達は、目をパチクリしながら、呆然と眺めているしかなかった。どう声をかけていいのやら、言葉に詰まってしまった。
「ヤッ、ヤサコ……大丈夫なの?」
フミエは及び腰ながら、ヤサコと〝それ〟に寄ってみた。その動きに一番に〝それ〟が反応し、首をよじって避けた。
「うっ、うん。大丈夫よ。〝これ〟は何もしなければ、危なくないようよ。何かしたら、ダイチ君のように……」
そう言って、デンパが付き添うダイチをフミエと一緒に見てみれば、まだヘナヘナと倒れこんでいた。腕はまだ乱れたままで、さっきよりは少し修正されているようだった。〝それ〟に避けられたフミエは、少しムッと感じたが、ダイチの二の前は恐ろしくゾッとした。
「〝これ〟は、イリーガルなのかなぁ?」
ハラケンも寄って来た。ハラケンは〝それ〟に近寄ると、ヤサコと同じように掌を出してみた。すると〝それ〟は、チラッとハラケンと掌を見ると、チョンと触った。ヤサコ程気を許してはいないらしいが、好意を持ってくれたようだった。
イサコも恐る恐る、ハラケンと同じように〝それ〟に手を出してみた。また〝それ〟はチョンと触ってくれたが、イサコはその動きに驚き、思わず手を引っ込めてしまった。〝それ〟も驚いてしまった。
「……………………」
その横では、京子がボーっと見ていた。たぶん京子も、〝それ〟に掌を出してみたいが、違うやり方もしてみたい、というのが本心だった。しかし、その違うやり方というのが思いつかず、ボーっと見ているばかりだった。
「それにしても、一体何なんだ、こいつは?去年もそうだったが、いろんな種類はいたが、これもまた初めて見る形態だ」
「やっぱり、イリーガルかぁ」
イサコとハラケンの見識で、〝それ〟がイリーガルである事は、確定的となった。
「とっ、とにかく、みんなの所に戻りましょう。母さんが京子の事、心配しているわ」
一同が〝それ〟をマジマジと見るのを、ヤサコは振り払うように立ち上がり、皆を促した。
「そうね。んじゃ、早く戻りましょう」
フミエも賛成して、皆が歩き出し、ヘナヘナのままのダイチはデンパに肩を担がれながら、ヨロヨロとやっとの思いで歩いていた。あの雷撃が生身の体にまで影響を与えるとは思えないが、あの時の音や光が相当応えたらしい。
まだ見ている京子の視線に、〝それ〟が気付いて見返した。すると、
「ウンチ!」
とりあえず、指をさしながらそう呼んでみた。その声には一同がビクッと反応し、ヤサコは赤らんだ顔で京子に振り向いた。
「京子!」
それだけしかヤサコは言わなかったが、「言っちゃダメ」という意味がこもっていた。
「うんじゃ~……」叱られた本人は、また思案し出した。そして、
「ヤエ!」
意外に古風な名前に、誰もが驚いてしまった。
「クゥウオオォン!」
その名前に反応するように、〝それ〟が元気よく返事のような声を上げた。
「……んまぁ、さっきのよりはずっとましねぇ。そいつも気に入ってくれたようだし…」
フミエはいろいろ考えながら、その命名を認めようとしていた。
「それにしても京子ちゃん、何でそんな名前なの?」
当然出てくる疑問であった。
「あぁ、それはね」その疑問に答えたのは、ヤサコだった。「最近、テレビの時代劇が次のマイブームらしくって。それで、その主人公の名前が、〝八重〟って言う町人の娘さんなの。京子ったら、その元気な娘さんが気に入っちゃって。だから、それで…」
その答えには、一同「あーっ」と納得した。
「それじゃ、君の名前は今日から、〝ヤエ〟ね」
「クゥウオオォン!クゥウオオォン!」
ヤサコの言葉に、これまた元気よくヤエは答え、その場の空気はようやく和んだ。精気の消えかけたダイチを除いて。
ただ、ハラケンの脳裏に、一抹の不安が過ぎった。
(あれ?もしかしてヤサコ、あのヤエを飼うのかなぁ……)
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